小松うどんについて

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小松うどん定義八か条

一、小松市内で製造された麺であるべし
一、手打ち、手打ち風のものであるべし
一、加水量は、小麦粉重量に対して35%w.w以上52%w.w赤満を基準とするべし
一、食塩水濃度10%を基準とするべし
一、白山水系の水で仕込むべし
一、出汁は、うるめ・むろあじ・さば節等を主に用い、昆布はふんだんに使いひくべし
一、具材は“しのもん”を出来る限り使うべし
一、こまつの発展を願い、茹で上げるべし

小松うどんつるつる創研

「小松うどん」とは

加賀藩お墨付きの名物。芭蕉も称賛。

 「加賀藩の名物は何か」
 「はっ、小松のうどんでございます」
と、そんな会話が実際にあったかどうかは分かりませんが、江戸時代に幕府の巡見使に加賀藩の名物を聞かれたら、金沢の象眼鐙(ぞうがんあぶみ)と染手綱(そめたづな)、小松の長機二重堅絹(ふたえかたぎぬ)と干饂飩(かんうどん)を答えることになっていたと、江戸時代宝暦5年(1755)の『御国御目付衆江御答帳(おんくにおんめつけしゅうへおんこたえちょう)』という書物に書かれています。
 それより前の元禄2年(1689)には、小松のうどんはあの松尾芭蕉にも贈られていました。奥の細道の旅の途中、小松の俳人・塵生(じんせい)が乾うどん二箱を届けたのに対し、芭蕉が「殊に珍敷(めずらしき)乾うどん」をありがとうと書いた返書が残されています。
 さらに元禄7年(1694)の『小松旧記』でも、小松町奉行から加賀藩の台所奉行にあてた返書『干饂飩のこと』の中に、うどんについての細かい注文と、製造者として八日市町の亀屋徳右衛門の名が記されています。徳右衛門は、注文どおり小麦の二番粉を使い、普通は足で踏んで練るところを特別に手で練り、炭火で乾燥して仕上げたといいます。でき上がったうどんは、藍で「亀」と印を押し、墨で「干うどん」と書いた紙に包んで贈られたそうです。

小松が発祥、うどんの名店。

 明治30年(1897)、鉄道が開通する直前の小松駅近くの角に『加登長(かどちょう)』といううどん屋ができ、うどんは広く庶民が味わえる食べ物になりました。その店を開いたのは、初の公選小松市長・和田伝四郎氏の叔父・和田長平氏でした。加登長は人気店となり、のれん分けによって県内に次々と店が増えていきましたが、現在小松市内には加登長の店舗は残っておらず、この名称がなくなってしまったことが惜しまれます。現在金沢市でよく見かける「加登長」が、実は小松で誕生した大衆的な「小松うどん」のルーツであることは、今ではほとんど知られていません。
 明治38年(1905年)には、小松市民になじみ深い『中佐』が開業しました。中佐はその後「本店」や「西店」、「中店」などを開いて計5店舗になり、これらの店で修行を積んだ人たちが、中佐の味にあやかって『中石』『中音』『中定』『中芳』など「中」のついた屋号で独立していきました。小松は知る人ぞ知るうどん所となったのです。

のぼりが目じるし、約70店舗!

のぼりが目じるし、約70店舗!

 そして現在、観光や商用で小松を訪れる人、また都会などから里帰りする人の多くは、「小松のうどんはうまい!」と言います。300年以上も前から小松の名物だったうどん、小松の町衆に愛され続けてきたうどんを、もっともっと知ってほしい!うどんを「まちづくり」に生かしたい!!という思いが結集し、平成22年に「小松うどんつるつる創研」が誕生。加盟店を募って「小松うどん」のブランド化を進めています。
 現在、えんじ色のノボリはためく加盟店は約70店舗。小松うどんの“定義8か条” に従いながら、各店舗で工夫を凝らした味を提供しています。
 小松うどんは、細めで程よいコシがあり、つるつるしこしことしたのど越しと食べやすさが特徴の麺と、魚の節や昆布をふんだんに使ったあっさり味のダシ、この相性が抜群なのが特徴です。この基本路線は守りながらも、様々なレシピを開発している店もあるので、あちらこちらの加盟店で様々な小松うどんを味わってみて下さい。